
TOPページ→ 登校拒否を考える親・市民の会 (鹿児島) の歴史
登校拒否を考える親・市民の会 (鹿児島) の歴史 1987年12月3日県立牧之原学園(当時教護院)で、13才の少年が7人の教護の3時間にもおよぶ暴行により命を亡くしました。 この事件をきっかけに、当時学校でも横行していた体罰などから子どもたちを守る運動が活発になり、翌1988年6月に「子どもの人権を守る鹿児島県連絡会」が結成されました。 1989年には公立中学校における男子生徒に対する丸刈りの強制をやめるよう署名、陳情の運動も始め、その後廃止校が相次いだように大きな成果をあげました。 いじめの問題にも取り組み、とくに1996年9月に亡くなった知覧中・村方勝己君の事件については、ご両親といっしょに徹底した調査をおこないました。 (こちらに母親・美智子さんの講演の原稿を載せています。) ご両親はいじめの事実や事件の教訓を明らかにするために裁判を起こされ、私たちは支援して、2002年1月に勝訴し、同年3月「連絡会」を閉会にしました。 登校拒否(不登校)への誤解や偏見がたくさんあるなか、会が始まったのは「子どもの人権を守る鹿児島県連絡会」が発足した翌年1989年5月のことです。 鹿児島市の長谷川登喜子さんが「励ましあって一緒にやっていきましょう」と呼びかけて、3家族で始まりました。 以来、毎月例会を重ねてきています。 2002年には「登校拒否を考える夏の全国合宿」を霧島で行い、大人子ども合わせて800人以上の参加で大成功をおさめました。 (詳細はこちらにあります。) 登校拒否は子どもの立派な生き方のひとつです。 登校拒否について見方が変われば、親も子どもも元気になれます。 毎月の例会は、涙あり笑いあり、感動の連続です。 お互いの交流から、いっぱいエネルギーをもらっています。 |
Last updated: 2003.12.11
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