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閉じこもりを否定しない(引きこもりを否定しない)
「閉じこもり(ひきこもり)」についてお話します。
先月の会報に、板倉さんの講演の一部「ひきこもりは明るい話」を載せました。
今日は新しい方もお見えになっていらっしゃいますので再び準備いたしました。
(読む)これは非常に大事な問題提起です。
小学、中学、高校と登校拒否をして親と子どもの葛藤があったり、学校との葛藤があるうちは、まだいいと私は思っているんです。
中学や高校を卒業したあと自分の子どもがどういうふうに生きていくか、
そっちの方がずっと親としてきちっと受け止めなければいけない深刻な問題、真剣な問題があると思うんです。
今日の南日本新聞にも「引きこもりの親の会が鹿児島にも発足された」と出ているんですが、
それはどんな会になるのか非常に大きな問題をはらんでいると思います。
「引きこもり」は私はあまり好きな言葉ではないです。否定的な言い方ですね。
もっとその子の生き方に積極的な意味をもつ「閉じこもり」という言葉を使いたいです。
閉じこもっている若者達は自分らしさを保とうとして閉じこもるわけですね。
それはその子にとって本能的な防衛反応であって、必要なことです。
それに対して親が肯定的になれなかったら、子どもは非常に苦しみ、追い詰められていきます。
親が時間をかけて子ども達の辛さや苦しさを理解し、親自身の人生観も変えていくということは素晴らしい事業だと思うんです。
そういうふうに私達親が見れるかどうかということなんですね。
それで今月の会報に、3月転居(Hさんはご夫婦で6年間親の会へ参加されました)していかれたA子さん〔21才〕のお手紙を紹介しました。
「現在も私は東京で閉じこもっている、でも私はとっても恵まれていて誰よりも幸せ者だと心からそう思います。
辛い思いも確かにしたし、今でも抱えているところはあるけれど、それと比べ物にならないほど多くのものを私は得ています。
私が与えられているものはすべて子どもの頃、心の中で望みながらもそんなの夢物語だと心のどこかであきらめていたものばかりです。
親が自分の方を向いてくれること、私を理解し認めてくれる人たち、学校以外の生きる場所があること、自由に自分のペースで好きなことの出来る時間、でも本当は人が成長し生きていくのに最低限必要なものばかりなのだと今ならとてもよくわかります。」
このようにして閉じこもり、時間をかけて自己肯定ができるようになっていったんですね。
このことは閉じこもりがどんなに大事なことかを教えてくれています。
最近二つのテレビ番組がありました。ひとつはシューレで土曜会というのをやっていて、「閉じこもりを問題視するマスコミや世間に対して、閉じこもりを治そうとか、矯正しようというんじゃなくて、当事者同士が話してみよう」ということで開いたそうです。
そこで話している番組が紹介されたんです。
中学2年生からずっと閉じこもっていた39歳の五朗さんという方が、自分の言葉で自分らしく表現されていてほんとに生き生きとしておられました。
後半は薬漬けになりなんども手首を切ったお嬢さんが、薬をためていて、ためることによって自分が安心していくということが出ていました。
すごく私は胸が痛みました。
その後2週間ぐらいして名古屋の長田○のことが放映されました。
閉じこもっている子どもを無理やり引きずり出そうとします。
脅迫した子どもを両親は部屋を借りて家から出すんです。それが自立という訳です。
そしてアルバイトをさせ、テレビに出してしゃべれというんです。
その27歳の青年は完全に目が泳いでいて何を話していいかわからないという感じでした。
あれを見たら一目瞭然、子どもを否定していましたね。
その青年は一時は外へ出るかもしれない、だけど自分の閉じこもりに対して非常に否定的になって自己を肯定していません。
二つの番組は非常に対照的でした。
一歩間違えば大変なことになりかねないと怒りをもって見られた方も多いと思います。
ですから閉じこもりに対して十分に理解していただきたいと思います。
地元の名古屋でも、閉じこもっている子どもに対して脅迫し、強制的に連れ出す等大きな問題があります。
かつて不登校の子を「我がまま、たるんでいる」として学校に強制的に戻すために戸塚ヨットスクールを作り5人の子ども達が死亡するという痛ましい事件がありました。
91年にはやはり広島の風の子学園で2人の子が密閉されたコンテナの中で2日間放置されて亡くなりました。
いずれも登校拒否、閉じこもりを否定した結果の大きな悲劇です。
このような悲しい経験を二度と再びくり返さないためにも、長田塾は危険だということを言っていきたいと思います。
親の会でもこのままでいくと「ひきこもり」になってしまうと親の方が不安になってムリヤリ外へ引っ張り出そうという話もありました。
「ひきこもり」という言葉に怖れ、不安になり我が子の姿が見えなくなってしまうんですね。
その結果の悲劇を招かないように、その時に親がどう考えていくのかということがとても大事な問題提起だと思っています。
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