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体験談
2002年5月発行ニュースより。
登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)会報NO.79
登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)では、 毎月の例会の様子をニュースとして、毎月一回発行しています。(詳細はこちら) その中から毎月3/1から4/1程度をHPに載せています。
体験談(親の会ニュース)目次はこちら
4月例会報告
立夏が過ぎ、いよいよ夏の全国合宿が近づいて来ました。
4月末にプログラムや申し込み用紙を発送致しました。
お手伝い下さった方本当にありがとうございました。皆さんご覧になりましたか?
ぜひ周りの方へ宣伝して下さい。
そしてファックスで早めに申し込みお願いします。
もう合宿に向けてまっしぐらです。
4月例会は新しい方が4家族、8組のご夫婦、全体で46人の参加でした。
今月もまた子どもさんが参加して、保健室登校の辛さを話して下さいました。
我が子を信じて、親が安心していることを、転勤を機会にご両親が外泊して家を留守にして示した3家族のお話、荒れる息子さんを「お父さんは親の会で変わったんだよ」、「お父さんのために生きてほしい」と言って抱きしめたというお話など感動を呼びました。
ひとつひとつが親の会の財産になり、確信になり、力強く感じます。
会報を作る中で改めて勉強させてもらっています。
お父さん、お母さんの気持ちが楽になって、子どもさんの気持ちも楽になる、「子どもを何とかしようではなく、親が変わること」なんですね。
資料「引きこもりは明るい話」は、発想を転換して、親が変わっていく私たちの会でなければ、なかなか聞くことができないもので、夏の合宿で全国の方たちにも聞いてもらいたいお話でした。
今月も貴重な経験をお話いただいて、ありがとうございました。
恵畑悠君のこと
―――NHKの「BSおかあさんといっしょ」に鹿児島出身の恵畑悠君という青年が4月から体操のお兄さんとして出ていますね。
南日本新聞にも紹介されていました。悠君はずっとこの親の会で交流をしていたお子さんで、現在22歳になります。
小学校5年生の時から学校に行かなくなりました。
その時に書いた原稿が「子どもをひとつのわくにはめてしまう今の学校」です。
その頃は全県中学は丸刈り強制でした。丸刈り強制廃止の運動に私達は6年半もとりくみました。
悠君は充分休養して中学3年の時学校は覗いた程度でした。高校も通信制を手続きしたんですが行きませんでした。
悠君が17歳の時投稿したのが「登校拒否は人生の出会い」です。
後半に「いじめられてつらい時はもちろんですが、学校に行くのが辛かったり、きつかったりしたら、無理して行くことはないと思います。
そして親がそれを受け入れ、温かく見守っていく事が、子どもにとっては必要であり、大事なことだと思います。
そして社会には一人ひとりの人権を大事にしていくことが、今求められていると思います」、
「先のことに不安を感じるのは、学校に行ってても行ってなくても同じ。先に何があるのか分からないから不安を感じる。
だから、何があるか分からないからこそ、"不安"という字を"希望"という字に変えていけばいいんだ」と言っているんです。
学校に行っていないから将来が不安だという話は、親の会でもよく出るんですが、「不安」という言葉は「希望」という言葉に変えられるんだよと悠君は教えてくれたんですね。
3つ目は、98年の親の会の通信です。
かわいいまるまるしていた悠君が19才になりえらい男前になって私達の前に現れたんです(笑い)。
この会場で歌を歌って下さいました。
そのやり取りです。悠君はどうして学校に行きたくなかったのかもうほとんど覚えていないと言っています。
「僕は始めのころは、ただ学校へ行きたくないと言う感じだったら、親は行きたくないのだったら、行かなくていいよと言って、無理やり登校させることはありませんでした。」すると、お母さんが「いいえ、そういうことはありません。」
最初の頃は無理やり車に乗せて連れて行っていました。
ここでいいと言う所でおろして帰ってくると、息子はすぐ引き返してきました。
そういうことが何回かありました」とおっしゃいました。
だから悠君が登校拒否の特別な子ではなくて、無理やり連れて行った時期もあったし、とても辛くてソファーにうずくまって真っ青になって過ごした時期もあったりしながら毎回親の会に参加して、お母さんは学校に行かなくても大丈夫だと悠君を信じていかれたんです。
ひとつひとつの原稿を読んでいくと、親が子どもの伴走者になっていく歴史がわかるし、悠君の歴史も分かるんじゃないでしょうか。
ぜひ皆さんも午前11時からと午後5時40分(再放送)からの「BSおかあさんといっしょ」をご覧になってください。
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